みちゃんの日記

みちゃんの日記です

20240414

性欲って「生理現象、マスターベーションで満足できるもの」と「他者と触れ合いたい、セックスで満足できるもの」の大きくふたつに分けられると考えている。

 

まず生理現象として性欲が高まったことを知覚し、マスターベーションもしくはセックスを選択して収まる、ということかもしれないが。

 

私は女性の身体に生まれ20数年女性として生きることを選んでいる。男女二元論の話になるが、「性行為」の意味は男女で異なっているのではないか。生殖機能についても同様である。女性が加齢して、生殖機能が衰えることは閉経として顕れる。感じ方はひとそれぞれで検証したわけではないが、月経の煩わしさから解放されることは嬉しいことだと推測できる。毎月どれほどの人数の女性が月経に悩まされていることか。

 

男性が加齢して、生殖機能が衰えると、勃起と射精が行えなくなる。あくまで生殖機能を比較しただけであり、月経と射精が等しいものと書くつもりはない。そもそも比較できるものではない。男性にとって勃起と射精ができなくなることは、嬉しいことだろうか。処理する煩わしさから解放されることを良く感じる男性もいるかもしれないが、おそらく自信も衰えるのではないか。男性が性行為をする、「女性を抱く」ことには、性的欲求を満足させること以外にも価値がある。男性らしさの誇示だ。女性や女性の体に興味を持たない男性が、ホモソーシャルな、有害な男性社会ではどのような立ち位置に追いやられるだろうか。

 

私は人付き合いが得意ではない、聞こえのいい言葉にすると、一人の時間を楽しむ才がある。直接関連があるかは不明だが、他者と性行為をしたいと思わない。今まで20数年の人生で好きになったひとびとがいる。この「好き」という感情がいわゆる「恋愛感情」なのかも曖昧ではある。恋愛って何。そのひとびと、男性も女性もその他の性のひともいた、を好きになり、私にできることならなんでもしてあげたい、と心から思った。傲慢だ。このひととなら、長く一緒にいられるかもしれない、ひとつの家で暮らせるかもしれない、ハグしたい、と思った。しかし、キスもセックスも、したいと思わなかった。ビジョンが浮かばなかった。相手を神聖視しているつもりはない。ただただ、思わない。

 

セクシーなものは分かるし感じる。性欲はある。画面越しのセクシーな年上の女性に魅力を感じる。もしも、その女性が画面から飛び出て、私と向き合って名前を伝えて話をして「ひとりの生きた人間」であることを教えてくれたら、私はそのセクシーな年上の女性に性的魅力を持ち続けられるだろうか。

 

ここ数か月で知った言葉にフィクトセクシュアルがある。漫画やアニメに登場する架空の人物に性的魅力を感じる性的指向とのことだ。私なんですけど。もしかして私は、「この世には実在しないため自我・人格・人権が無いことにできる」からキャラクターに性欲を感じることを自身に許しているんじゃないのか。キャラクターに人格は存在しないことにできるため、私の中で都合よくコミュニケーションを取らせることが可能だ。

だって「私はあなたに性的魅力を感じていて性行為したいと思っています」って伝えることは、嫌がらせだから。セックスは暴力だから。セックス=暴力、セックス=セクシー・エロス、暴力=破壊・崩壊・爆発、つまり暴力はエロいってコト!?

 

自分にペニスがあればいいのに、と稀に夢想する。自分にはペニスが無いこと、挿入する側・射精する側になれないことに、稀に少しだけガッカリしたりする。

 

 

労働が上手くいかなかったら、アメリカの子どもみたいにレモネード売るか、VTuberになってバカ売れするか、軽トラに本を詰めて移動書店をやろう。書店や図書館が少ない地域に走って、小学校や中学校の近くで開いて、地域住民と保護者たちに訝しげに見られよう。8時間労働を、破壊しよう。